瑕さえ愛しき…
                〜 砂漠の王と氷の后より

        *砂幻シュウ様 “蜻蛉”さんでご披露なさっておいでの、
         勘7・アラビアン妄想設定をお借りしました。
 


       




昼間の世界を我が物顔で支配した灼熱を、あっと言う間に蹴散らし飲み込み。
沙漠の夜もまた、よそよそしいまでの傲慢さで容赦なく訪れる。
東亜の香を浮かせた新湯と、椿の実油を染ませた髪の香が、
清かな夜風にのって届きでもしたものか。
冬場の濃密な藍よりは無邪気で軽やかな、夏の夜陰の垂れ込める中。
篝火の灯された回廊の支柱の陰をさえぎって、
翡翠の宮を訪のうたは、

 「覇王様ではありませぬか。」

波打つ豊かな鋼色の髪や、カンドーラの上へと羽織った濃色のビシュトが、
その御身の輪郭を、宵の中へと馴染ませてしまっていても。
それでもなお、雄々しくも頼もしいその存在感は隠しようがない。
上背がおありで、精悍な風貌。
屈強な肢体に、威容を隠せぬ所作というのもあるけれど。
何と言っても
すっかりと落ち着かれた壮年となってもなお、
気性の悪戯・気ままなところがそのままでいらっしゃり。
内政や外交の政策方針へは、情も込めての誠実で手厚い対処を優先なさるし、
民への顔見せとなるよな式典などなどでは、
威風堂々、慈悲あふるる賢王たる頼もしさのみを押し出しておいでだが。

  気の置けぬ身内の前では、時折ガラリと変わってしまわれる。

ある意味、それも相手への信頼あっての甘えというもの。
誰しもそういうものだろと、
話を聞くだけならば特に奇異なこととも思うまいが。
彼の覇王の場合は、ともかく その落差が大きすぎるのが難点で。
頑是ない子供のように、
思いつきをそのまま行動に移して押し通したり。
はたまた、人の心を酌み取る術に長けているまま、
相手を周到に囲い込むという、お人の悪いことをなさりもし。
他でもないこの王宮の御主だ、
後宮への予告もないお渡りも今更なことじゃああったれど、

 「おや、意外なことのように申すか。」

鷹揚泰然、いっそ朗らかなほどの応じようが、
こちらからの攻勢を煽っているように受け取れなくもなく。
そして それを迎え撃つシチロージとしては、

 「さて。」

ここで“お渡りのお相手を間違えてはおられぬかと”などとは言わぬ。
確かに このところ…琥珀の宮の第三妃を迎えてからは、
まだまだ青い、しかも彼が相手でも物おじしない気性の激しい跳ねっ返りを、
余裕もて いいように振り回すという新鮮な刺激がこたえられぬのか。
彼女と過ごす夜の、とみに多くなった御主でもあるが。
そんな夫を恨めしいと感じたり、
独り寝の夜が寂しいと嘆いたりするほど、
狭量でもなければ暇な身でもないのがこちらの正妃様。
どこか懐っこい気のする、夏の夜露の香の馥郁と匂う中。
遠い外延の国司を招くこととなっている、月見の宴の趣向を思案したり。
新しい更紗の色や柄、夜陰の中ではどう映えるのか、
精緻な透かし彫りをほどこした金葉を連ねたチャームが、
月光を受けてどう煌くかを試したり。
そんなこんなを手掛けつつ、
巷ではこのような歌が流行っておりますよとか、
そうそう、唐渡りの真珠のチャームを御存知ですかなどと。
気に入りの賢い侍女たちと、機転の利いた語らいを楽しんだりしていれば、
夏の短い夜はあっと言う間に過ぎてゆくもの。

  それより何より、
  シチロージとてキュウゾウ妃は可愛い。

そこは年の差もあるのだろうが、
どんなに首頚を上げての毅然としていても、
彼女の若さであの器量は頼もしいほどでもあったとしても、
味方を作ろうとしない頑ななところなぞが、
シチロージにはどこか痛々しく見えてならず。
それもあってのこと、
明け透けに当てつけがましいことは言えぬと、
こちらも常からの余裕でもって、曖昧に微笑って見せれば。

 「なに。政務官のヘイハチから、
  お主の髪のアレへ、あれが気づいた話を聞いてな。」

 「あれがアレへ、ですか。」

訊いただけでは混乱しそうなお言いようと、
そこはすかさず、繰り返すことで つついて差し上げてから、
とはいえ、ちゃんと通じておいでの尋深くも賢き妃。
ヘイさんたら余計なことをと、内心では ちょっぴり悔しく思ったものの、
わたしが伝えるのも微妙なことと、それこそ気を遣って下すったのだなと。
様々な深慮を経た親切を、ほろ苦くも感謝しているシチロージだとも気づかぬまま、

 「話を合わせよと言うておったが。」

そうと続けたカンベエが言うには、

 『ただ、私も人伝てに訊いただけのこと。』

ヘイハチがこの王宮へと招かれるより、ずんと前のお話なので。
直に見聞きしてもないことという点では キュウゾウと変わらない。
シチさんがどれほどの重みや想いを抱えた上で
それを“戒め”と仰せになったかは判りませぬ故、と。
あの聡明な姫がそうまで言うたものだから、
それもあっての口裏合わせに来たのだがと、
少し離れた窓辺に立つ愛妻へ、語りかけつつ歩み寄り、

 「もしやして、
  あのときの儂の言いようを 静かに怒り続けておったのか?」

ただ近寄られただけならば、逃げたり避けたりなぞしなかった。
だが、そのお言いようへ滲んだ何かへは、
聞き流してはならぬものを感じ取り。
顔を上げると ゆるりとかぶりを振ったシチロージだったので。
うなじで軽く束ねてあっただけの、上等な絹のような彼女の金絲が、
肩からスルリと房ごと背中へ逃げて。
それを追ったカンベエの手ごと、拒んだように見えなくもなく。

 「…そんな僭越なものではありませぬ。」

違いますとの言いようの真摯さを、
澄み渡った空色の双眸の切ない色という形で、
間近に見やることとなった覇王様。
淡色の髪や肌をし、こうまで透いた瞳をしつつも、
歴戦の知将であるカンベエを幾多の艱難にて試しただけの気丈さと、
女だてらに勇猛果敢な顔も持つこと知らしめた
過日の妃をそこへと思い出してしまったほどで。

 “さようさ。
  それは苛烈だったところは、
  あのキュウゾウと変わらなんだものな。”

今の彼女の、ただ寛容なだけではない態度や、
自信に満ちて懐ろの深い、いかにも余裕のあるあしらいとも違うそれ。
若かりし青さゆえの激発が、
あからさまに発揮されたのが…忘れもしないその折のこと。
当時はまだ先王も存命であり、
その盤石な覇権をやがては継ぐであろうカンベエが、
正妃を迎えることとなった祝賀の宴、
城都へ属領の首長らを多数招いて催すこととなって。
遠路はるばるよくおいでとのねぎらいと挨拶を交わしつつ、
ついでに本物か否かとの首実検も行うという、
各国ご使者一行への確認を兼ねた対面拝謁の仕儀のさなか。
砂漠の国のそれとは思えぬほど壮麗な王宮の、
謁見の間での、それは華やかな和やかさの中へ、
どこぞかの部族の姻戚と名乗った数人がなだれ込み、
選りにも選って、玉座にいた王妃へ掴み掛かろうとした騒動ありて。

 『あれ、王妃様がっ!』
 『シチロージ様っ!』

単なる王族の嗣子ではない、
当人も練達との誉れも高かった のちの覇王ではなく、
雪と氷の国から、慣れない気候の遠方に来たばかりという、
うら若き妃を狙った、何とも卑劣な狼藉者ら。
しかも、高貴な身であればあるほど、
ヴェールやマントでぐるぐる巻きになって、
御身を隠さねばならぬが女性のたしなみというしきたりに、
文字通り縛られておいででもあって。
いくら若々しくとも、武道の心得ありとの噂であっても、
これは抗いようなく搦め捕られたかに見えたところが、

  暴漢らがその手に出来たのは、
  彼女がかなぐり捨てた紫紺のベールだけ。

決して慌てずの軽やかに、
ベールの片側だけをぐいと引いて剥ぎ取りながらという、
至って落ち着き払った態度にて。
ゆったりとした玉座から立ち上がると、
自身の影をそこへと置き去るかのように。
いやさ、
向かって来た相手へ抗戦的にも叩きつけるかのように。
織り目の詰んだ紫紺のベールを、
ばっさと投げつけてから退いた彼女で。
あくまでも頭からかぶっていた薄い更紗のベールだけ、
髪をおおうヒジャヴや
ボレロのように肩から掛けていた別のベールはそのまま。
よって、身動きにもたしなみにも支障はないまま、
衛士らの駆けつけるほうへと退いた賢明さを見せたものの。

 『待て、北領の牝ギツネめが。』

賊の一人がそんな罵倒を浴びせたものだから、
妃の足が思わず止まったのも、若さゆえの感情が働いたせいか。

 『こんな若造、たぶらかすのは造作なかっただろうよの。
  北領の姫御前、いやさ、氷の魔女よ。』

与(くみ)する方が利口と読んだは大正解だったな、
だが、こんな野卑な男に嫁して隷属するとは、
部族の誇りは売り払ったのか?…と、言いたい放題を投げつけられて。
落ち着いて振り返れば、
誰へでも繰り出せそうな、中身の薄い愚かなたわ言。
されど、そうと聞き流せなんだ青さを呪ってももう遅く。
憤怒に動きが凍った刹那という隙を衝かれ、

 『…っ!』

別な方向からも侵入していた別の賊が、無遠慮に延ばした手に気づいたが、
半歩ほどのわずかに遅れて、頭のヒジャヴを掴まれた。
すべりのいい絹越しだったので、
当人は髪を鷲掴みしたかったろうに それは叶わず、
するりと絹の中ですべってほとんど逃れることが出来たが。

 『…おお。』

満座は大仰だったけれど、逃げ惑う人々の方が多かった場だったけれど。
火急の事態よと駆けつけた兵の出入りもあっての、異性の眼ばかり多かりしな中、

  明るい陽を受け、さらさらりとすべり出したは、
  この国の民には滅多に見ない金の髪。

此処のような強烈な陽の国には神話の中にさえ現れぬ、
そうまで希有な存在が、それは鮮やかに降臨なされたかのようなもの。
このような事態の最中であったにもかかわらず、
皆して息を飲んだほど、それは見事な存在が姿を現したのだけれども。

  それもほんの刹那の幻のようなこと

というのも、あっと言う間に黒々とした陰が天から降り落ち、
瑞々しくも輝かしい、若き王妃の姿をすっぽりと覆ったからで。

 『何をしておるっ。』

一瞬でも腑抜けた自軍の将官らへ、
恫喝飛ばした大将軍カンベエが投げたヒジュラが、
宙で絶妙に広がってから彼女を覆ったまでのこと。
はっと我に返った衛士らが、今度こそはと鍛え抜かれた辣腕振るい、
下賎で卑劣な賊らの一団は、
式典の場から速やかに畳まれの片付けられてしまったけれど。

 「一体どこへ隠し持っておったか。
  懐刀で髪を切り払おうなぞとしおって。」

確かに、下賎の者へやたらと姿をさらすは辱めも同じ。
その思想は北領にもあったことで、
しかも力づくの強引さで絹を剥ぎ取られたことが、
気高くもうら若き妃には、猛烈な屈辱となりもした。
そんな格好で人の眼にさらされた髪なぞ要らぬと、
突発的に刃を手にしたらしくって。
同行していた侍女らが泣き叫ぶような悲鳴を上げる中、
間一髪でカンベエが掴み取った切っ先は、

 『…ぁ。』

束ねられていた髪の一部を浅く切り裂き。
同じだけの傷を
彼女の白き腕ごと押さえ込まんとした、カンベエの手へも残したことで。
シチロージの頭を煮えさせていた激高、見る見る収めてくれもして。

 「その代わり、
  周囲はそれこそ騒然としてしまったではありませぬか。」

 「そうであったかの?」

嫁して来たばかりの妃の恐慌より、覇王の身が損なわれたことのほうが重大と、
そりゃあ誰もが思っただろうにと。
当時の傷も今は跡形もない頼もしい手で顎のお髭を撫で上げて、
けろりとしている 今は若造ではない夫へ告げれば。

 「だがの。」

王と王妃が立ち話も何だと、
心地のいい夜風と星を望める妃の居室へ居場所をあらため。
これも舶来の金の高脚杯にて、葡萄の酒を酌み交わしつつの話の続き。
そこは当時もそうだった、
不遜で不敵な眼差しを杯越しに差し向けて来て、

 「儂のものへと 許しもなく勝手をしたには違いなかろうが。」
 「……あれ。」

勝手はお互い様なお言いよう、
傲然と言い放つところが、だのに却って芝居がかって聞こえたは、
果たして翡翠の宮様だけだったろか。
あっけらかんとしたお言いようへ、不意を突かれたシチロージ様。
ええい不覚よと、
当時より更なる深みを得た美貌に、甘苦い悔しさの艶を滲ませると。

  ええ、ええ。
  そうやっていつまでもお嬲りになればよろしい。

一応は澄まし顔のまま、ツンとそっぽを向いてしまわれ。
それへと覇王様が返したは、

  嬲るなぞとは人聞きの悪い。
  賢くも最愛の妃を相手に、
  そのような愚行を誰が企むというのだ…なぞと。

さても、どこまで本気でどこからが稚気戯言か。
かしこくも奥の深い伴侶の言いよう、どこまで真意か探りつつ。
せっかくの麗しき風貌を愛で合うだけでは足りぬのか、
この沙漠で一、二を争う知恵もの同士の鞘当てが始まったのへ。
ナツメヤシの葉陰の向こう、
南空の綺羅星たちが、瞬きながら見下ろしてござったそうな。







   〜Fine〜  12.07.15.〜07.19.


  *当サイトでは
   赤い眸のおてんばさんを追っかけてばかりの覇王様ですが、
   正妃シチさんとの間にも、
   掘り下げれば長くて深い歴史ありということで。
   それでもあんまり浮気が過ぎると、
   お仕置きの何かがそのうち降って来かねませんぞ? 覇王様。


  *イスラム教圏の女性のドレスコードというと、
   チャドルというのもございますね。
   全身をすっぽりと隠してしまうほど丈の長い、黒系の布のこと。
   ただし、国や地域によって規制も異なるようで、
   肩まで覆ってあればよしというところもあれば、
   布もスカーフでかまわないと大目に見てくれるところもあり。
   はたまた逆に、
   ヒジャブで髪を隠さねばなりませんと、
   法でがっつりと決まっている地域もあるそうです。
   このお話はあくまでもフィクションで、
   時代も地域も背景も
   いろいろと曖昧にぼやかして進めておりますので、
   その辺の考証も大目に見ていただけるとありがたいです。


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